慶長大判の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

慶長大判(けいちょうおおばん)とは、徳川家康が天下統一を達成した翌年に、国づくりの事業の一つとして作られた大判の古銭です。慶長大判を持っているのであれば、古銭買取における買取価格が気になるかもしれません。
実は、慶長大判は価値が高く、それ以前に作られた天正大判に次いで高い値がつくといわれています。この記事では、そんな貴重な慶長大判の概要や、主な種類とそれぞれの特徴について詳しく紹介します。

慶長大判の概要

慶長大判は、慶長6年(1601年)から鋳造されたといわれる大判の貨幣です。鋳造が始まった時代の和暦を取って、「慶長大判」と呼ばれるようになりました。 慶長大判は1種類だけではなく、発行時期や金品位、墨書きなどにより数種類に分けられます。主なものを挙げると、笹の葉のように見えるデザインが描かれた慶長笹書大判金(けいちょうささがきおおばんきん)や、明和大判(めいわおおばん)などがあります。明和大判は、慶長暦ではなく明和暦に鋳造された慶長大判です。慶長大判の重量はどの種類においても164.9グラムで、すべて統一されています。 400年ほども前の貨幣であることや、金で鋳造されていることなどから、慶長大判はとても人気のある古銭です。金でできた本質的な価値に加えて、歴史的な価値や美術品としての価値も認められています。 慶長大判はどれほど出回っているかも気になるところです。慶長大判の総鋳造枚数については、1万6000枚ほどであるという記録が残っています。ただし、明暦判だけでも1万5000枚ほど鋳造されたという記録もあり、正確な枚数はよくわかっていません。

慶長大判の多な種類と特徴

ここからは、慶長大判を種類ごとに見ていきましょう。慶長大判は全部で5種類あるとされていますが、ここでは主なものを2種類取り上げ、それぞれの特徴について紹介します。

慶長大判金(明暦判)

慶長大判金(明暦判)は、江戸時代の明暦4年(1658年)の古銭です。素材は金でできています。

明暦3年(1957年)に江戸の町の大半が被害を受けた明暦の大火という大火災が起こりますが、その影響は江戸城の御金蔵までに及びました。慶長大判金(明暦判)は、このときに溶けて流れてしまった金銀を再び鋳造し直して作られたとされるものです。明暦の大火が起きる前に鋳造されたものと同じ慶長大判金ですが、大火後のものは明暦判として分類されています。

その後、京都の大判座でも慶長大判金が鋳造されますが、その大判も明暦判と呼ばれています。京都で造られた明暦判は形状が若干異なっていて、角が緩やかであることや鏨目が粗いのが特徴です。また、江戸で造られたものは金の含有量が67.4%と少ないという違いもあります。

明暦判のものは、慶長大判金の中ではやや価値が劣るとされることもあります。ただし、それでも古銭買取の中では貴重なものであることに変わりはありません。状態によっても相場は変わるので、一度査定を受けてみるとよいでしょう。

慶長笹書大判金

慶長笹書大判金は、江戸時代の慶長6年(1601年) から流通した古銭です。慶長大判金(明暦判)と同様、素材は金でできています。

この慶長笹書大判金は、徳川家康が天下統一を達成した後に鋳造が始まった大型の金貨です。慶長6年から約100年の長きにわたって発行されました。鋳造に携わったのは、室町時代からの御用達彫金師とされる後藤家です。

慶長笹書大判金の名前の由来は、大判に施された美しい花押の墨書にあります。初期に鋳造された大判には、流れるような美しい墨書が描かれているのです。その墨書が笹の葉のように見えるため、慶長「笹書」大判金と呼ばれるようになりました。

花押や墨書は、後藤家五代目の徳乗の実弟・長乗、または七代目の顕乗のものとされています。この墨書がきれいに残っているものほど美術品としての価値が高く、希少価値もあるといわれています。