文久永宝の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

文久永宝は、文久2年(1862年)から鋳造された貨幣です。これまでの寛永通宝当四銭から、量目を減らして新たに鋳造されたのが特徴でしょう。鋳造年数は4年と短く、古銭としての価値もそれほど高くありません。しかしながら、希少なものの場合には価値がつけられる可能性もあるのです。

また、手に入れやすいため、古銭のコレクションとして始めやすい貨幣だといえるでしょう。今回は、人気の文久永宝の種類や特徴などについて詳しく解説します。

文久永宝の概要

文久永宝は銅素材を使用し幕末に流通した古銭です。銭銘のついた銭貨として日本最後のものであるといわれ、歴史的な価値がつけられています。丸形の形状をしているのも特徴で、正方形の穴があけられている貨幣です。 貨幣価値は4文で、3種類の書体が用意されました。この銭文の筆者は能筆で知られる幕閣が担当しているのが特徴です。まず、玉宝は越前藩主の松平春嶽が手掛けています。旧字の寶ではなく、「宝」となっているのがこの貨幣のポイントでしょう。 草文は備中松山藩主の老中・板倉勝静が担当し、文の文字には草書体の「攵」が選ばれています。真文は肥前唐津藩主の老中格・小笠原長行によるもので、文の文字は楷書体で書かれているのです。 文久永宝の鋳造は明治2年まで続けられました。約7年間での鋳造高は8.9億枚との記録があり、市場に出回った数の多い貨幣です。そのため、買取での評価はそれほど高くないといえるでしょう。ただし、書体によっては希少価値が高いものも存在する古銭です。

文永久宝の主な種類や特徴

文久永宝は、名の知れた筆者による美しい文字の楽しめる貨幣です。そのため、コレクターにも人気が高いといえるでしょう。また、保存状態などによっては、思いもよらない査定価格がつくことも期待できます。そんな古銭収集家からの注目を集める文久永宝について紹介します。

文久永宝 真文(ぶんきゅうえいほう しんぶん )

文久永宝 真文は文久3年(1863年)に鋳造されました。文久永宝の書体の1つ、真文にあたるもので、銅素材の貨幣です。これは、慶応3年(1867年)までの4年間に渡って鋳造されたという説が有力でしょう。一方、明治2年までの7年もの間、作られていたともいわれています。いずれにせよ、昭和28年まで通用していた貨幣です。

江戸堀川千田新田の銭座で鋳造され、ほかの草文や略宝とは別の場所で鋳造されているのも特徴でしょう。若年寄の小笠原長行が書いた文字が採用されているものとして伝えられ、歴史ファンからも人気の1枚です。

「文」の文字に楷書体が選ばれ、宝には旧字の「寶」が採用されているのが特徴であるといえます。文久永宝は永の字体や堀の深さなどに細かく分類される貨幣です。字に勢いがあるかどうかも査定のポイントとなるため、十分な知識を持った買取店を選ぶのがいいでしょう。

攵久永宝 略宝(ぶんきゅうえいほう りゃくほう)

攵久永宝 略宝は、文久3年(1863年)に鋳造された貨幣です。ほかの文久永宝と同じく銅素材が使用されています。寛永通宝と比較すると軽量化されているのが特徴で、裏面の波形が美しいことでも知られています。

文久永宝の書体の1つとなる「略宝」が用いられた貨幣であり、松平慶永の筆によって書かれた文字であるとされています。宝には略字の「宝」が使われているのが最大の特徴です。さらに、文には草書体の「攵」が採用されました。

略宝にはいくつかの種類がありますが、そのなかには非常にめずらしく、価値があるものも存在しています。「小字」とよばれるものがそれにあたり、極めて高い価値がつけられています。手持ちの攵久永宝 略宝が小字であるかを判断するのは難しいため、気になる場合には、古銭買取業者に相談し、鑑定してもらうのがいいでしょう。

攵久永宝 草文(ぶんきゅうえいほう そうぶん )

攵久永宝 草文は銅素材の貨幣で、文久3年(1863年)に鋳造されました。浅草橋の銭座で鋳造された貨幣であり、0.9匁にまで軽量化されているのが特徴です。銅の割合は約38%で、そのほかには銀や鉛、鉄などが含まれています。

文久永宝には「真文」「草文」「略宝」の3つの書体がありますが、この貨幣はそのなかでも「草文」と呼ばれているものです。草文の文字は老中の板倉勝静が書いたことでも知られています。文の文字に草書体の「攵」が使用され、宝には「寶」が選ばれている点が見分けるポイントでしょう。

この2つの文字によって、草文であると容易に判断できるのです。ただし、文久永宝のなかでも残存数の多い貨幣のため、価値がつきにくいともいえます。しかしながら、価値のあるものもわずかに存在しますので、豊富な知識をもった専門家に鑑定を依頼するのがベターです。