古金銀とは?
概要や種類を紹介
買取でも人気の古金銀(こきんぎん)とは、江戸時代中期以降または明治時代まで通用していた金貨と銀貨の総称です。価値が高いと評判で買取に出すと高値がつきやすいといわれています。しかし、どのくらいの査定価格になるのでしょうか。
また、種類によっても価値が異なるのか気になる人もいるでしょう。買取に出す前には、しっかりとした知識を身につけておくことが大切です。そこで、古金銀の概要や種類、価値を調べる方法などについて説明します。
古金銀の概要
古今銀は、大きく分けると大判、小判、銀板の3種類があります。大判は、主に16世紀以降の日本において生産されたものです。槌やローラーで金塊を薄く広げた延金を使って作られたものであり、楕円形をしています。
古金銀の特徴
大判と似たような古金銀に小判がありますが、大判はその名の通り大型のものを指します。大判は大きすぎて流通に適さないことから、褒美や贈答品として利用されることが多く見られました。それに対し、小判は流通することを目的に造られています。
小判は江戸時代に流通した金貨の一種として知られ、さまざまな種類があります。また、小判は作られた時代によって重さが変わりますので、種類によって買取価格も異なります。
また、幕末のころに一部の藩で地方貨幣として鋳造されたものは銀判といいます。銀判は希少価値が高く、高額査定も夢ではありません。
古金銀の価値を調べる方法
古今銀の買取では、1枚で10万円をこえるような価格がつけられることもあり、非常に価値が高いことが分かります。これは、日本の通貨制度が明治時代に大きく変わったことが影響しているといえるでしょう。
古金銀の価格の変化
江戸時代から明治時代にかけて流通していた古今銀は、新しい貨幣の登場によってその姿を消してしまうのです。そのため、現在では価値があるものとして扱われています。
ただ、古今銀はどれも同じ価値があるとはいえません。種類ごとに素材と両木画異なるため、それぞれに違った価値がつけられているのです。
古今銀にはたくさんの種類があり、その総数は非常に多いといえるでしょう。また、保存状態によっても価値は大幅に異なります。よって、古今銀の価値を調べる時には、専門の買取業者などの専門家に鑑定を依頼することがおすすめです。
古金銀の買取りおすすめ業者の紹介
バイセル
バイセルは、2018年7月まで「スピード買取.jp」という社名でした。「バイセル」に社名を変更してからも以前の名の通り、対応の早さが特徴の買取業者です。即日の出張依頼にも対応してくれます。もともとは着物を中心に買取を行っていましたが、2020年1月現在では古銭や切手などの買取にも力を入れており、記念硬貨など古銭の買取実績も豊富です。
また、バイセルはメディアでの宣伝を積極的に行っているところも特徴です。イメージキャラクターに坂上忍を起用しており、テレビ・ラジオCMやチラシなどで一度は広告を目にしたことがあるのではないでしょうか。メディア宣伝によりバイセルの知名度はどんどん高くなっており、お問い合わせ件数も年々増加するなど、勢いのある買取業者です。
古金銀の主なジャンル紹介
古金銀は大判、小判、銀判といった3つのジャンルに分類されます。それぞれのジャンルにはどのような古今銀があり、どのくらいの価値がつけられているのでしょうか。ここからは、古今銀の主なジャンルを紹介します。
大判
16世紀ごろから作られてきた大判は、黄金とも呼ばれることのあった通貨です。大判金と称されることもあり、その名の通り高い価値を持っています。大判は約300年もの間、後藤四郎兵衛家の家計の職人が作り続けていました。この家系で作られたものだけが正式な大判として認められていたのです。
江戸時代に作られた大判は主に6種類あります。安土桃山時代に豊臣秀吉・秀頼の親子によって作られたのが天正大判です。非常に価値が高い大判として知られるのは慶長大判で、買取では驚くほどの価格で取引が行われています。
元禄大判は鋳造枚数の多い大判ですが、後に多くが鋳つぶされたため価値が高いといえるでしょう。長い期間に渡って鋳造が続けられたのは享保大判で、初期のものに価値がつけられています。天保大判はたがねの模様が太いのが特徴です。
日本で最後に作られたのが万延大判であり、通貨としても利用されてきました。これらの大判はそれぞれに価値が異なるため、正しい知識を持った専門家に鑑定を依頼しましょう。
小判
小判は、天正(1573~1592年)のころから江戸時代にかけて使用されていた通貨です。江戸時代以前の小判として知られているのは、文禄4年(1595年)ごろに鋳造されたと考えられている駿河墨書小判(するがすみがきこばん)です。
また、駿河墨書小判と同じ形式の小判に、武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん)もあります。江戸時代に使われてきた小判は、主に10種類です。
慶長6年より発行された慶長小判(けいちょうこばん)や、その次に発行された元禄小判(げんろくこばん)、一両としての額面を持つ宝永小判(ほうえいこばん)などがあります。
正徳小判(しょうとくこばん)は流通量が少なく、希少価値が高いとされています。そのほかにも、正徳4年より通用が開始された享保小判(きょうほこばん)や元文元年から鋳造が始まった元文小判(げんぶんこばん)、老中・水野忠成の貨幣制度の改革によって誕生した文政小判(ぶんせいこばん)などがあります。
また、驚くほどの価値がつけられるといわれ、献上用として使われた小判が天保小判(てんぽうこばん)です。そのほかには、安政6年から鋳造された安政小判(あんせいこばん)と万延元年から鋳造が始まった万延小判(まんえんこばん)があります。
銀判
銀判とは幕末のころの地方貨幣です。一部の藩によって鋳造されたのが特徴で、主に3種類があります。久保田藩が鋳造したのが秋田銀判です。
文久3年(1863年)11月から鋳造されたものであり、戊辰戦争の影響により、鋳造に踏み切ったといわれています。秋田銀板のなかでも、一匁一分五厘は試作品であったことから希少価値が高いといえるのです。
盛岡藩によって鋳造されたのが盛岡銀判で、慶應4年(1868年)から鋳造されています。戊辰戦争に必要となる軍事用品を調達する目的で鋳造されたものであり、八匁銀板と七匁銀板があるのが特徴です。
このうち、七匁銀板は試作品ですので現存するのは1、2枚だと考えられています。よって、驚くほどの価格がつけられています。さらに、会津藩によって鋳造された銀判は会津銀判と呼ばれています。どの銀板も非常に価値が高いといわれ、買取では高値での取引が可能です。