その他の大判の価値は?
主な種類や特徴を紹介!
古銭買取で人気のある大判(おおばん)といえば、知名度の高い慶長大判や天保大判などを挙げることができるでしょう。確かにそれらの大判は有名ですが、大判で価値があるのはそれだけではありません。
その他の大判にも、今ではあまり手に入らない希少価値があるものや美術品としての価値が認められるものなど、貴重なものが存在します。この記事では、その他の大判について概要や種類、それぞれの特徴について詳しく紹介します。
その他の大判の概要
そもそも大判とは、どのようなものを指しているのでしょうか。大判とは、16世紀以降に日本で作られた延金貨幣の中で、大型で楕円形のものの総称として使われている言葉です。延金貨幣とは、金の塊を槌でたたくなどして薄く広げて鋳造された貨幣のことをいいます。 この記事で紹介するその他の大判には、有名な慶長大判や天保大判と形状はよく似ているものが少なくありません。大きさや形、デザインなどが似ているため、ひと目見ただけでは種類の区別がつきにくいものもあります。どの大判も、サイズは縦143ミリ、横84ミリほどです。「大判」と呼ばれるだけあって、今の古銭と比べるとずっと大きなものであったことがわかるでしょう。 その他の大判の中で人気のある主な種類としては、元禄大判、享保大判、万延大判などを挙げることができます。これらの種類については、後ほど一つずつ詳しく説明します。
その他の大判の主な種類と特徴
慶長大判や天保大判以外のその他の大判にはいろいろな種類がありますが、ここではそのうちの3種類だけを取り上げましょう。その他の大判の中でも有名な「元禄大判(げんろくおおばん)」と「享保大判(きょうほうおおばん)」、「万延大判(まんえんおおばん)」を挙げ、それぞれの特徴について紹介します。
元禄大判
元禄大判は、江戸時代である元禄8年(1695年)に鋳造されました。素材は金でできています。
江戸時代には合わせて5種類の大判が鋳造されましたが、元禄大判はそのうちの一つです。大きさや形状は有名な慶長大判金とほとんど同じです。ただし、元禄大判の裏面には「元」という刻印がされています。これは元号の「元禄」から来ているもので、それにより鋳造された時期を見分けることができます。
元禄大判は、鋳造枚数が3万枚程度と多く流通した貨幣です。とはいえ、鋳造枚数が多いからといって現在も多く残っているわけではありません。元禄大判は鋳造枚数が多かったものの、後にそのうちの多くが鋳つぶされてしまったため現在ではあまり残っておらず、希少価値は高くなっています。
享保大判
享保大判は、江戸時代の享保10年(1725年)に鋳造が始まりました。素材は金でできています。
享保大判も江戸時代に鋳造された5種類の大判金のうちの一つですが、素材の金の含有量や大きさなどはそれぞれ異なります。享保大判は、江戸時代の初期に鋳造された高品位の慶長大判金と同じくらい品質が高いとされている大判です。
享保大判は長い期間にわたって鋳造が行われ、約130年間も流通しました。そのため、大判の表面の墨書は6種類もあります。この墨書は、御用金匠である後藤家によって書かれました。享保大判の墨書は、後藤家12代目の寿乗から17代目の典乗までが担当したとされています。同じ享保大判でも、この墨書の種類や残り具合によって価値が異なります。特に貴重品とされるのは、初期の寿乗による墨書きで、はっきりときれいに残っているものです。
万延大判
万延大判は、江戸時代の万延元年(1860年)に鋳造されました。江戸時代最後の大判で、日本で最後に鋳造された大判として知られています。
この大判の鋳造が始まるまでは、大判の主な利用法といえば報奨でした。しかし、万延大判金は報奨に加えて通貨としても利用されるようになります。鋳造は文久2年(1862年)までであったとされていますが、この大判は貨幣として明治7年(1874年)まで通用しました。
万延大判の表面の模様(ござ目)は、「たがね目」と「のし目」の2種類があります。一般的には、「たがね目」のほうが古銭としての鑑定価値は高いとされています。ただし、この他にも価値を決める鑑定方法はいくつかあるので、万延大判の換金をしたいときには自分で判断せず、専門の業者に鑑定を依頼するのがよいでしょう。