100円札の種類や価値が一目瞭然!おすすめの買取業者情報はこちら

100円札の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

100円札は日本銀行券のひとつであり、主に8種類が存在しています。100円札は日本国内で過去に流通していたもので、現在では硬貨へと変化している金種です。そのため、100円札には100円硬貨とは異なる特徴が見られます。

ここでは、過去に広く流通していた100円札の種類や特徴について、それぞれ詳しく紹介します。手元にある100円札の鑑定を検討している方は、実際の買取価値を判断するための参考としてください。

100円札とは?現行で使える種類もある

100円札は、日本銀行兌換銀券や日本銀行兌換券を含む日本銀行券の一種です。100円札は主に8種類で、旧百円券、改造百円券、甲号券、乙号券、い号券、ろ号券、A号券、B号券があります。 なかには似たデザインのものもありますが、基本的にそれぞれ異なるものとして捉えられています。種類によっても価値は大きく変化するため、価値を見極めるにはそれぞれの違いを理解することが重要です。 100円札は明治から昭和にかけて発行されました。それぞれの特徴を紐解くと、各時代背景が明らかになります。 なお、100円札の多くはすでに失効券となっています。ただし、日本銀行券として発行されているA号券とB号だけは有効券であり、現行紙幣として使用可能です。

100円札の種類と特徴

100円札のうちのほとんどは失効券です。しかし、日本銀行券のA号券とB号券は現行紙幣として使えるなど、それぞれ特徴が見られます。ここでは、100円札の種類と特徴について紹介します。

旧百円券

旧百円券は、1885年(明治18年)9月8日に発行が始まり、1939年(昭和14年)3月31日まで通用していた100円札です。日本銀行兌換銀券であり、紙幣にも「日本銀行兌換銀券」と印字されています。記番号は漢数字で記されており、通し番号は3桁または4桁で管理されています。

紙幣の大きさは縦116mm、横186mmです。裏表に図柄があり、表面には大黒像、裏面には彩紋が描かれています。図柄がもとになり、旧百円券は「大黒札」ともよばれていました。なお、旧百円券の図案を製作したのは日本人ではなく、イタリア人のエドアルド・キヨッソーネです。

旧百円券はほとんど現存しておらず、古銭市場ではプレミア紙幣として扱われています。そのため、もしも旧百円券を所有しているなら、買取を希望するとかなりの価値がつくでしょう。

改造百円券

改造百円券は、1891年(明治24年)11月15日に発行が開始され、1939年(昭和14年)3月31日まで使用されていました。券種は、旧百円券と同じく日本銀行兌換銀券です。

改造百円券は、旧百円券の代わりに使用するために発行されました。というのも、旧百円券には強度を調整する目的でコンニャク粉が使用されており、ネズミや虫などに食われてしまうことが多くあったからです。

改造百円券のサイズは縦130mm、横210mmであり、日本で発行された紙幣の中では最も大きいです。表面には藤原鎌足の肖像、裏面には彩紋が描かれています。表面の模様が眼鏡に似ているので、「めがね100円」「めがね鎌足」といった通称もあります。記番号は漢数字で記され、通し番号は5桁で表されています。

改造百円券は古銭市場で取引されたことがないといわれており、取引すれば高値がつく可能性が非常に高いです。

甲号券

甲号券は、1900年(明治33年)12月25日から発行され始め、1939年(昭和14年)3月31日まで使われ続けました。日本銀行兌換券であり、紙幣の大きさは縦104mm、横180mmです。

甲号券の表面には、改造百円券と同じく藤原鎌足の肖像が描かれています。加えて、紙幣の左側に談山神社の絵もついています。裏面には製造年月日が和暦で示されており、紫色の模様が入っているのが特徴的です。このことから、甲号券は通称「裏紫100円」ともよばれています。

また、甲号券は、前期・後期によってそれぞれ異なる特徴があります。まず、前期甲号券の組番号には、変体仮名による「いろは」の記載があります。さらに、通し番号の数字は漢数字です。それに対して、後期甲号券は、組番号と通し番号のいずれにもアラビア数字が使用されています。

乙号券

乙号券は、1930年(昭和5年)1月11日から発行され、1946年(昭和21年)3月2日に通用が停止されました。券種は日本銀行兌換券であり、紙幣の大きさは縦93mm、横162mmです。

乙号券の表面には聖徳太子と夢殿、裏面には法隆寺が描かれています。このデザインは、乙号券の次に発行された100円札の「い号券」にもそのまま流用されています。聖徳太子が描かれている100円札は複数存在しますが、いちばん最初に描かれたのは乙号券です。そのことから、乙号券は通称「1次100円札」ともよばれています。

乙号券の買取価格は、状態によって大きく変化します。乙号券の買取を希望するなら、特に状態が良いものやほぼ未使用のものであると望ましいです。ただし、他の100円札に比べると、乙号券は高値がつきにくいといわれています。

い号券

い号券は、1944年(昭和19年)3月20日から発行され、1946年(昭和21年)3月2日まで通用しました。い号券はそれまでに発行された100円札とは異なり、券種は日本銀行券です。

乙号券の図柄を引き継ぎ、表面には聖徳太子と夢殿、裏面には法隆寺が描かれています。い号券は聖徳太子が描かれた2つ目の100円札なので、通称は「2次100円札」です。い号券の紙幣のサイズは縦93mm、横163mmとなっています。

記番号については、組番号と通し番号によって記されています。当初、通し番号は900000までとされていました。しかし、不良券と差し替えるための補刷券が発行されたため、なかには900001以降の通し番号が記されたものもあります。

乙号券と同じく、い号券の場合もかなり状態が良いものでないと価値はつきにくいです。

ろ号券

ろ号券は、1945年(昭和20年)8月17日から発行が始まり、1946年(昭和21年)3月2日に通用が停止されました。券種は日本銀行券であり、紙幣の大きさは縦93mm、横162mmです。

ろ号券の表面には聖徳太子、裏面には法隆寺が描かれています。そのため、ろ号券の通称は「3次100円札」です。ただし、ろ号券を乙号券やい号券と比較すると、明確な違いが見られます。具体的には、聖徳太子の肖像が表面の右側ではなく、中央へと変更されている点です。

また、ろ号券が印刷されたのは、日本の国力が極端に衰退した時期と重なります。そのため、ろ号券はそれまでの100円札に比べて彩色が簡略的です。

さらに、新円切替に伴い、ろ号券は発行されてから1年も経たないうちに通用が停止されています。同時に通用が停止された乙号券、い号券、ろ号券については、証紙を添付して新券の代わりとする対応がとられました。

A号券

A号券は、1946年(昭和21年)3月1日から発行され、1956年(昭和31年)6月5日に支払い停止となりました。「支払い停止」とは、日本銀行から市中銀行に対する紙幣の支払いを終了することです。なお、A号券が発行されたのは新円切替後であり、券種は日本銀行券となっています。

A号券の紙幣のサイズは縦93mm、横162mmです。デザインには、い号券を流用しており、紙幣の表面には聖徳太子と夢殿、裏面には法隆寺が描かれています。い号券と見分けるため、A号券の表面の下部には赤色の新円標識が入っています。A号券の通称は「4次100円札」です。

A号券は新円切替後に発行された紙幣なので、現在も使用可能です。そのため、古銭市場において高額な買取価格を期待するのは難しいでしょう。鑑定をおこなっても、額面通りとなることもあります。

B号券

B号券は、1953年(昭和28年)12月1日から発行が始まり、1974(昭和49年)8月1日に支払停止日を迎えました。日本銀行券であり、紙幣の大きさは縦76mm、横148mmです。

それまでの100円札とは異なり、表面には板垣退助の肖像、裏面には国会議事堂が描かれています。B号券は、A号券の偽札が多く出回るようになったのをきっかけに発行が始まっています。そのため、B号券の発行後は、A号券の回収が急速に進められました。

また、1957年には100円銀貨の発行も始まり、B号券は100円銀貨と並行して利用されるようになります。そして、1966年8月26日になると、100円紙幣が廃止されることが正式に決まりました。B号券の廃止以後は、100円は紙幣ではなく硬貨として運用されています。

B号券は、現在でも使用できますが、残念ながら高い買取価値は期待できません。