2円札の特徴や査定相場を大公開!お勧めの買取業者はこちら

2円札の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

2円の支払いをしなければならないとき、お札ではなく1円玉硬貨を2枚出そうとするのではないでしょうか。しかし、過去においては「2円札」というものが一般に流通していました。
現代では馴染みのない2円札は、明治時代初期に発行されたものです。2円札には、1872年(明治5年)に発行された「明治通宝2円札」と、1873年(明治6年)に発行された「旧国立銀行券2円札」があります。ただし、現在はどちらも失効しており、紙幣として使用することはできません。
日本銀行から発行された日本銀行券としては、2円札は存在しません。この記事では、「明治通宝」と「旧国立銀行券」という2種類の2円札の価値や特徴について紹介します。

2円札の2種類の券種について解説

2円札の券種である「明治通宝」と「国立銀行券」とは、どのようなものなのでしょうか。まずは、それぞれの券種の時代背景や特徴などを紹介します。

明治通宝とは?

明治通宝は、明治維新によって設立した明治政府から発行された政府紙幣です。日本で初めて、西洋の印刷技術によって印刷された紙幣として有名です。明治通宝は当初イギリスに印刷を依頼する予定でしたが、結局ドイツの民間工場で製造されることになりました。そのため、別名「ゲルマン札」ともいわれています。

明治通宝が発行される以前は、「太政官札(だじょうかんさつ)」「府県札」「民部省札(みんぶしょうさつ)」「為替会社札」という官民が発行した紙幣が存在していました。さまざまな機関が紙幣を発行していたことに加えて、簡易的な銅板印刷が用いられていたため、大量の偽札が出回っていたことが大きな問題となっていました。そのため、明治政府は1872年(明治5年)に新貨条例を制定し、お金の単位を「両」から「円」に改め、偽造しにくい紙幣の導入を目指します。この条例に基づいて新たに発行されたのが、明治通宝です。

国立銀行紙幣とは?

国立銀行紙幣とは、1873年(明治6年)から国立銀行により発行が開始された「兌換紙幣」(だかんしへい)です。兌換紙幣とは、額面に相当する価値の金貨または金塊との交換ができる紙幣のことです。

国立銀行紙幣の製造は1872年(明治5年)に決定され、1873年(明治6年)~1899年(明治32年)まで流通しました。明治5年というと、明治政府が当時の西洋各国で標準となっていた「金本位制」の採用を決定した年です。金本位制とは、国の貨幣を「額面に相当する金貨(または金地金)と交換できる兌換貨幣・兌換紙幣」と公的に定めることです。貨幣と紙幣の価値を安定させることを目的に、日本でもこの制度が採用されました。

しかし、交換できる金貨の不足により、政府は1876年(明治9年)に金貨と交換する権利を持たない不換紙幣の発行を認めます。この不換紙幣と区別するために、1872年(明治5年)の国立銀行条例で発行が決定した兌換紙幣のことを「旧国立銀行券」と呼んでいます。この旧国立銀行券は、1899年(明治32年)まで流通していました。

2円札の種類と特徴

ここまで紹介してきた通り、2円札には明治通宝と国立銀行券の2種類があります。ここからは、この2種類の2円札についてそれぞれの概要や特徴について紹介します。

明治通宝2円札

明治通宝2円札は、1872年(明治5年)~1899年(明治32年)にかけて流通しました。券種は明治通宝で、紙幣サイズは縦112mm横72mmとなっています。

明治通宝には100円から10銭まで9種類の額面があり、明治通宝2円札はその中の一つです。紙幣のデザインは古典的な鳳凰と竜の絵で、額面が違っても図柄は共通です。

古銭買取における価値は、額面と状態によって買取相場が大きく変わります。ただし、2円紙幣は明治通宝の中でもかなり価値が高いといわれています。未使用品や状態の良い物であれば、より一層高い価値がつくと期待できるでしょう。明治通宝2円札を持っているのであれば、複数の買取業者に依頼して鑑定をしてもらうのがおすすめです。

国立銀行券2円札

国立銀行券2円札は、1873年(明治6年)8月20日~1899年(明治32年)12月31日にかけて流通した紙幣です。券種は兌換紙幣で、紙幣サイズは縦80mm横190mmです。

国立銀行券は、20円~1円までの5種類の額面のものが発行されました。2円札の表面には、鎌倉時代の末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる新田義貞と児島高徳という2人の武将の肖像画が描かれています。

裏面には皇居の図柄が採用されています。製造は外注され、アメリカの印刷会社によって印刷されたため、当時のアメリカで流通していた紙幣と構図がよく似ているのが特徴です。