50銭札の特徴や価値が丸わかり!オススメの買取業者をご紹介

50銭札の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

現代は使うことのできない古紙幣。50銭札は古紙幣の一つで、古くは明治25年に、新しいものでも昭和25年という昔に発行されています。50銭札は全部で5種類発行されていますが、なかでも有名なのは、板垣退助の肖像を印刷したものではないでしょうか。なお、ほかにも50銭札は目立つデザインが多く、富士山や桜などが描かれてきました。ここでは、そういった50銭札の種類や特徴について、詳しく紹介します。

50銭札とは?今では使用できない

50銭札は、かつて日本で流通した古紙幣の額面の一つです。本来紙幣を発行できるのは日本銀行のみですが、50銭札はいずれも政府によって発行された政府紙幣です。政府紙幣は、多く発行しすぎるとインフレーションの危険があります。市場に出回る紙幣が増えても、購入できるものの数は変わらないので、値段を上げざるを得ないからです。当時の明治政府は政府紙幣を何度も発行していますが、西南戦争を機に強烈なインフレ―ションが引き起こされました。 なお、現代では50銭札を含む1円以下の額面の紙幣を、通貨として使うことはできません。額面が1円以下の紙幣は、1953年に小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により廃止されたためです。

50銭札の種類と特徴

ここでは、50銭札の種類と特徴についてそれぞれ紹介します。

改造紙幣

改造紙幣は、1882年(明治15年)に発行され、1899年(明治32年)に廃止された政府紙幣です。50銭札の紙幣サイズは縦65mm横101mmと横長で、表面の大蔵卿印が特徴的なことから、別名「大蔵卿50銭」とも呼ばれました。なお、改造紙幣の額面は、10円・5円・1円・50銭・20銭の合計5種類が発行されています。

そもそも、改造紙幣は明治通宝に代わる紙幣として発行されました。明治通宝は粗末な作りで、額面が異なるものでもデザインが同じなどという理由から偽札が出回っていたのです。改造紙幣には、偽造対策を盛り込まれており、1円以下の紙幣には、裏面に偽札作りを防止するための、偽造罰則文言が記されています。また、1円以上の紙幣には偽造防止のため神功皇后の肖像が描かれており、これが日本初の肖像入り紙幣となりました。

大正小額政府紙幣

大正小額政府紙幣は、1917年(大正6年)に発行され、1948年(昭和23年)に廃止されました。サイズは縦65mm横103mm、表面には大蔵大臣印と菊花紋章がデザインされています。また、裏面には彩文模様。複雑な幾何学模様が特徴の彩文模様は、紙幣において役割を果たします。彩文模様の技術はもともとルネサンス期にヨーロッパで誕生し、日本には明治初頭に伝えられたと言われています。

大正小額政府紙幣の50銭札は、表面に発行年が書かれている珍しい紙幣です。発行年によって価値・買取相場は影響するので、注目してみるとよいでしょう。
また、紙幣のデザインは、明治時代の改造紙幣の低額面を流用したものです。一部文字は変更になってはいるものの、硬貨と同じく発行年が記入されている点は同じです。なお、大正小額政府紙幣は、50銭札のほかにも10銭札、20銭札も発行されました。

小額政府紙幣 (富士桜)

小額政府紙幣の額面は50銭札のみです。しかし、発行年度により3種類のデザインのものがあるので詳しく見ていきましょう。1938年(昭和13年)~1948年(昭和23年)に発行された紙幣は、表面に富士山、桜、旭日が描かれており、「富士山50銭札」、または「富士桜50銭」と呼ばれています。また、裏面には大正小額政府紙幣同様、彩文模様が印刷されていました。なお、サイズは縦65mm横105mmです。

小額政府紙幣(富士桜)は、日中戦争中に戦略物資として欠かせない銀を温存するべく、50銭銀貨の代わりに発行されました。なお、表面の精密なデザインの中にはシークレットマークとして「二ホン」の文字が隠されています。

小額政府紙幣 (靖国神社)

小額政府紙幣(靖国神社)は、小額政府紙幣(富士桜)の後に発行されています。また、紙幣サイズは縦65mm×横105mmと横長で、1942年(昭和17年)から1948年(昭和23年)に発行されました。なお、紙幣の印刷は民間の凸版印刷に委託され、単色刷りから多色刷りに代わっています。

この紙幣は、発行のタイミングによって前期・後期の2種類にわけられます。昭和17年~19年に発行されたものが前期、昭和20年の後に発行されたものが後期です。前期と後期では一部素材やデザインが異なることに注目しましょう。
前期のデザインは、表面に靖国神社の鳥居・金鵄・桜花、裏面には高千穂峰が描かれています。加えて、シークレットマークとして表面のデザインに紛れ込むように、「二ツホン」の文字が隠されていました。前期の段階では日本はまだ太平洋戦争の真っ最中。士気を高めるために、靖国神社が選ばれたとされています。また、高千穂峰は宮崎県と鹿児島県にまたがる火山で、日本百名山の一つとされています。

後期は、GHQの占領下で製造したことによりデザインなどに厳しいチェックが入りました。なかでも、紙幣から「大日本帝国」という名は消え、「日本帝国」に置き換わったところが特徴的です。

小額政府紙幣 (板垣退助)

小額政府紙幣(板垣)は、1948年(昭和23年)から1953年(昭和28年)まで発行されました。紙幣サイズは縦60mm横108mmと、小額政府紙幣(靖国神社)よりも横長に変化しています。表面に板垣退助が描かれ、裏面には国会議事堂がデザインされていました。板垣退助は、自由民権運動の主導者として知られ、当時の国民に愛された人物です。板垣退助は、この政府紙幣のほか、日本銀行が発行する100円紙幣にも肖像が描かれています。

この50銭札は、日本史上に残る最後の50銭札です。発行期間中に一時硬貨に変更されたこともありましたが、材料不足に伴い、再び紙幣に戻されています。50銭札が廃止となった経緯としては、戦後の物価急上昇が挙げられるでしょう。
1円以上の取引が一般化するにつれ、もはや銭単位の取引は意味をなさなくなったのです。1953年の小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律をもって、すべての50銭札は、紙幣としての役目を終えました。