寛永通宝にはどんな種類がある?お得な買取情報や業者をご紹介

寛永通宝の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

江戸時代から明治時代の初めごろ、庶民の間で使われていた通貨を寛永通貨といいます。寛永通貨は200種類以上もの種類があるといわれ、それぞれ異なった価値がつけられているのが特徴です。

価値の高いものを買取に出した際には、驚くほどの価格がつくこともあります。ただ、どの寛永通貨に需要が集まり、高値がつけられているのでしょうか。ここでは、たくさんの種類を持ち、買取でも高く評価されている寛永通宝の特徴や買取情報を紹介しましょう。

寛永通宝の概要

寛永通宝が使われていたのは、江戸時代から明治の初期です。年号に直すと、寛永13年から明治30年ごろまでだといえるでしょう。240年という長い期間に渡って使われ続け、多くの人から親しまれてきました。寛永通宝は中心に穴が開いているため、穴銭と呼ばれることもある古銭です。 寛永通宝は作られた時期によって大きく2つに分けられているのも特徴でしょう。始めに作られたのが古寛永であり、寛永3年から寛文8年までの42年間に渡って作られました。また、金貨や銀貨に続くものとして使用されてきた貨幣です。その後、鋳造が一時停止されますが、新寛永と呼ばれる新しい貨幣が作られるようになりました。 古寛永と新寛永は貨幣に刻印された文字の書体に違いがあり、見た目が大きく異なるといえるでしょう。さらに、寛永通宝は200以上の種類を持ち、種類ごとに価値が変化します。比較的近代まで流通していた新寛永は古銭としての価値は高い方ではありません。一方、古寛永には高い価値がつけられ、買取でも高評価を得ています。

寛永通宝の種類や特徴

寛永古銭には200以上もの種類があり、それぞれに違った価値がつけられています。そのなかには非常に希少な古銭もみられ、コレクターからの注目が集められているのです。では、どの寛永通宝がコレクターに人気なのでしょうか。ここからは、主な寛永通宝の種類や特徴などを詳しく紹介しましょう。

正字背文(せいじはいぶん)

寛永通宝は背面に文字が刻印されず、背は無地であるのが一般的です。しかし、200種類以上もある寛永通宝のなかには、背に「文」という文字が刻印されているものがあります。その寛永通宝が正字背文です。その名の通り、貨幣の背面に文という文字が刻まれている古銭であり、江戸時代の寛文8年(1688年)に亀戸で作られました。

一文銭として使われていたもので、銅や鉄・白銅を材質としているのも特徴でしょう。背文の文字は、発行された年の元号でを表しているといわれています。さらに、面の寛字ともあわられているのです。

正字背文は、一般的に「文銭」ともよばれ、さまざまな書体で作られました。そのなかでも分類上の基本とされている書体のものは正字背字と呼ばれ、高値がつきやすい傾向にあるのです。書体によっても価値に差がみられ、人気の書体の場合にはコレクターからの需要が高いでしょう。よって、買取でも高く評価されています

下野国足尾銭(しもつけのくにあしおせん)

下野国足尾銭は、江戸時代の寛文8年(1688年)に発行された貨幣です。銅と鉄、白銅を材料にしているのが特徴で、銅の産出量が減少して困窮した足尾銅山の救済を目的に鋳造されたといわれています。

背面に「足」と書いているため、見分けやすい貨幣としても知られているといえるでしょう。また、足字銭と呼ばれることもあります。これは、かつてお銭のことを「おあし(お足)」といったことに由来していると考えられているのです。また、足字銭が語源という説もあります。

新寛永に分類されている下野国足尾銭ですが、サイズにバラつきが多いのも特徴でしょう。サイズや状態によっては価値がないものもみられますが、サイズが大きい場合には高値も期待できます。手元にある場合には専門の買取業者に相談し、正しい価値を知るのが最善です。

小梅銭(こうめせん)

小梅銭は1373年から鋳造されていた貨幣です。これは、江戸時代の元文2年にあたり、新寛永に分類されています。材質には銅を使用し、小型で軽く、背面には「小」の文字が刻まれているのが特徴でしょう。

この小の文字は、表面の「寛」の自のちょうど裏側に位置しています。細めの字が使われているのがポイントで、勢いがある字体が採用されているといえるでしょう。そんな小梅銭は、現在スカイツリーが建っているあたりの江戸の本所小梅村あたりで鋳造されていたといわれています。

また、小梅銭にはたくさんの書体があり、寛永通宝のなかでも書体の多い貨幣です。そのほか、元文4年以降に作られた小梅銭は中央の穴が狭く作られているため、「狭穿」と呼ばれています。それ以前のものは「広穿」という穴が広いタイプであり、広穿には高値がつけられやすいといえるでしょう。

石ノ巻銭(いしのまきせん)

石ノ巻銭は、江戸時代の享保13年(1728年)ごろに鋳造された貨幣です。陸奥国牡鹿郡と呼ばれる、現在の仙台市石ノ巻で作られていました。石ノ巻銭は、長い期間に渡って鋳造が続けられ、大量に作られた銭座としても知られているといえるでしょう。

一文銭の貨幣の背面は無紋となるのが通常ですが、石ノ巻銭の背面には「仙」という文字が刻まれているのが特徴です。しかしながら、なかには、背面に何も書かれていない石ノ巻銭もあります。さらに、通の時のしんにょうが1つ多めにひねって書かれているものなどもみられるでしょう。そういった文字が使われている石ノ巻銭は「重揮通」と呼ばれています。

そのほかにも、バラエティに富んだ書体が用意されている貨幣であり、細かい書体などの差によって価値が異なるといえるでしょう。見分けがつきにくいものもあることから、専門の買取業者に相談するのがベターです。

芝銭(しばせん)

江戸幕府によって銭座が設置され、最初に鋳造された寛永通宝が芝銭です。古寛永と呼ばれる貨幣の1つであり、寛永13年(1728年)に作られました。芝銭は、現在の東京都港区内にあたる芝綱縄手で鋳造された貨幣です。

材質は銅であり、寛永通宝の「通」字の之繞や「永」字などの点に草書体が使用された「草点」のものが多いといえるでしょう。流通量が極めて多かったことから、希少価値はそれほどつけられていません。よって、買取査定でも安い値段がつけられることがほとんどです。

しかし、鋳型を作るために利用した母銭などの場合には、数が少ないことから、その価値が100倍になることもあります。したがって、買取の際には、正しい判断で査定ができる買取業者に相談するのがいいでしょう。専門的な知識を持った査定員のいる買取店では、母銭かどうかをきちんと判断してくれます。

水戸銭(みとせん)

江戸時代の寛永14年(1637年)には、常陸水戸にも銭座が設置されました。この水戸で鋳造されたのが水戸銭です。鋳造地となった場所は、現在では銭谷稲生となり、鋳銭場跡も残されています。

寛永通宝のなかでも初期に作られた古寛永の1つであり、多くの古銭ファンを魅了しているといえるでしょう。また、古寛永のなかでも分類が多いのが特徴です。ただ、流通量が多かったことから、希少価値はそれ程高くはありません。しかしながら、なかには非常に価値のあるものも含まれています。

種類によっては、驚くほどの価格がつけられることもあり、古銭愛好家からの注目の高い1枚です。希少価値の高い水戸銭を見極めるのは難しいため、古銭専門の買取業者に査定を依頼するのがいいでしょう。手持ちの水戸銭に思いもよらない査定額を期待することも可能です。

二水永(にすいえい)

二水永は、常陸水戸の富商である佐藤新助が初めて鋳造した貨幣です。佐藤新助が江戸幕府と水戸藩からの許可を得て鋳造したものとして知られ、裏面に「三」と鋳込まれています。これは、貨幣が鋳造された寛永3年(1626年)を意味しているといえるでしょう。

材質は銅・鉄・真鍮であり、江戸時代初期には北宋銭や明銭の交換用として使用されていました。水戸で作られたことから水戸銭の1つとして考えられていますが、裏面の数字と特徴的な永の字によって、二水永として分類されています。なぜなら、表面に漢字の「二」と「水」の字を組み合わせたような「永」の字が刻印されているからです。

この文字が使用されたことで、二水永と名付けられたといわれています。二水永は江戸時代に250年にも渡って作られたため、流通量が多いといえるでしょう。そういった理由から、希少価値はそれほど高くはありません。ただし、状態によっては満足のいく価格がつけられることも考えられます。

浅草銭(あさくさせん)

浅草橋場にも銭座が設置され、寛永13年(1636年)に鋳造が始まったのが浅草銭です。銅を材質とする浅草銭は、御蔵銭(おくらせん)と呼ばれることもあります。また、さまざまな種類が存在する寛永通宝のなかでも書体が多い貨幣として有名です。

「志津磨百手」と呼ばれるほどたくさんの書体があり、それぞれに違った表情が楽しめます。数あるなかでもクセがなく、整った書体であるのは「正字」です。くっきりと堀が深いのも魅力であり、美しい貨幣であると高く評価されているといえるでしょう。

正字のほかにも、たくさんの書体があり、1枚ごとに価値が異なるともいわれています。書体の違いは素人では見分けるのが難しいため、価値が分かりづらいこともあるでしょう。よって、買取の際には専門の買取業者に相談し、正しい価格で買取ってもらう必要があります。

文銭(ぶんせん)

江戸時代の寛文8年(1688年)に、亀戸で鋳造が開始された寛永通宝が文銭です。文銭の背面には「文」と書かれているため、文銭と呼ばれて親しまれてきました。また、文の文字は表面の「寛」と同じ位置に配されているのもポイントでしょう。両方を併せて読むと年号の「寛文」になるといった魅力的な貨幣です。

文銭は、豊臣秀吉が京都方広寺に立てた大仏を鋳潰して鋳造した貨幣としても知られています。そういった理由から、「大仏銭」とも呼ばれているのです。材質には銅や鉄、白銅が使用されました。

文銭は1種類だけではなく、非常に多くの種類が存在し、書体などによってさまざまな種類に分類されているのが特徴です。そのなかには、高い価値を持ったものもあるといわれ、買取では高値が期待できます。文銭が手元にある場合には、本当の価値を知るためにも、古銭買取業者に相談し、正しく鑑定してもらうのがいいでしょう。