皇朝十二銭の特徴や買取相場をご紹介!高額査定の業者はこちら

皇朝十二銭の価値は?
主な種類や特徴を紹介!

皇朝十二銭は、708年から963年にかけて日本で使用されていた古銭です。歴史的価値や希少性があるものも多いため、コレクターの間でも皇朝十二銭の人気は高くなっています。状態や種類などによっては、かなりの高価で取引される場合もあるほどです。

この記事では、皇朝十二銭の種類やそれぞれの特徴とともに、買取情報について紹介します。皇朝十二銭の買取を希望している方や興味をもっている方は、ぜひ参考にしてください。

皇朝十二銭の概要

「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」とは、西暦708年(和銅元年)から963年(応和3年)の間に鋳造された12種類の貨幣を表す総称です。奈良時代に3種、平安時代に9種が発行されました。皇朝十二銭が作られた理由は、貨幣制度を整備したり、平城京へ遷都するためにかかる費用を捻出したりするためだといわれています。 皇朝十二銭の硬貨は円形であり、その真ん中に正方形の穴が開いているのが特徴的です。 また、皇朝十二銭は歴史的価値があり、貴重なものとされています。状態や種類にもよりますが、買取の際には高値がつく可能性が高いです。同じ種類でも、発行された時期による微妙な違いにより、価格が大きく異なる場合もあります。 皇朝十二銭として特に知られている代表的な穴銭としては、「和同開珎(わどうかいちん)」があります。和同開珎は皇朝十二銭の中でも特に歴史的価値も高いため、状態によってはかなりの高値を期待できるでしょう。 なお、皇朝十二銭は、「本朝十二銭(ほんちょうじゅうにせん)」ともよばれています。

皇朝十二銭の種類や特徴

皇朝十二銭は12種類あります。ここでは、それぞれの種類ごとの特徴や特徴について紹介します。

和同開珎(わどうかいちん)

「和同開珎」は、奈良時代の和銅元年8月10日に鋳造・発行された銭貨です。皇朝十二銭の中で最初に作られた古銭であり、日本初の流通貨幣でもあります。和同開珎は歴史的価値の高さから教科書にも掲載されており、一般的にも有名です。

表面に時計回りで「和同開珎」と刻まれており、裏面に模様はありません。和同開珎の主な材質としては銀や銅が使用されています。鋳造された時期によって材質が異なっており、ものによって大きく価値が変わります。

和同開珎は、保存状態や表面に刻まれた文字の書体によっても価格に差が出やすいです。総合的に見て高い評価がつく場合、かなりの高値を期待できるでしょう。

ただし、和同開珎は模倣品も多く存在しています。そのため、自分が所有している和同開珎の価値を正しく把握するには、信頼できる専門家の鑑定が必要となります。

万年通宝(まんねんつうほう)

万年通宝は、奈良時代にあたる760年に作られた、日本で2番目の銭貨です。それまで50年以上に渡って和同開珎が使われてきましたが、それに替わる通貨として万年通宝が発行されました。万年通宝の材質は和同開珎とは異なり、青銅製です。

万年通宝の特徴は、和同開珎の10倍の貨幣価値がつけられた点にあります。ただし、万年通宝は和同開珎のようには普及せず、一般的にはあまり受け入れられませんでした。そのため、万年通宝が鋳造されたのはたった5年間だけです。

万年通宝も歴史的価値が高いと評価されているため、買取時には高値がつく可能性があります。状態や刻まれている書体によっては、平均的な価格の10倍以上になることもあります。そのため、手元にある万年通宝を売却したいのであれば、まずは専門の買取業者に鑑定してもらったほうがいいでしょう。

神功開宝(じんぐうかいほう)

神功開宝は、奈良時代の765年に鋳造された銭貨です。万年通宝の次に発行された3番目の皇朝銭となっています。神功開宝は万年通宝に替わる通貨という意味合いで発行されたことから、価値は万年通宝と同等です。

表面には時計回りで均等に「神功開寳」と記されており、裏面には文字の記載はありません。神功開宝の材質は青銅であり、大きさは直径24~25 mm前後となっています。

神功開宝についても、状態や書体によって買取価値は大きく変化します。特に神功開宝は、ものによって表面に使われる書体がさまざまなので、専門家でないと明確な価値を判断するのが難しいです。

市場では1万円未満で取引されているものもあります。ただし、希少価値が認められ、数百万円の高値がついているものもあります。神功開宝はコレクターも多く、人気が高いです。

隆平永宝(りゅうへいえいほう)

隆平永宝は、平安時代の延暦15年に鋳造・発行された銭貨です。皇朝十二銭の中では、神功開宝に次ぐ4番目にあたります。

他の皇朝十二銭と同様、円形の硬貨の中央に正方形の穴が開いています。隆平永宝の材質は銅です。そのため、酸化により褐色や緑色に変色している場合もあります。また、隆平永宝の表面には、時計回りで「隆平永寳」の文字が順番に配置されています。裏面に文字や絵などはついていません。

隆平永宝も希少性が高く、高値がつくことが多い穴銭のひとつです。ただし、実際の買取価格は、それぞれの状態によっても大きく異なります。特に隆平永宝の表面に記されている文字の書体による違いは、買取価格に大きな影響を及ぼします。素人にはほとんど分からないような微妙な違いにより、買取価格が数万円変化することも珍しくはありません。

承和昌宝(じょうわしょうほう)

承和昌宝は、平安時代の承和2年に日本で流通していた銭貨です。日本で鋳造・発行された銭貨の中で初めて、名称に当時の元号が使われました。

通説によれば、承和昌宝よりも後に発行された銭貨は、承和昌宝を基準に作られたといわれています。従来の銭貨の直径は23~25mm前後であったのに対し、承和昌宝以降の銭貨の直径は20~23mm前後となりました。

ただし、承和昌宝が発行された頃から、銭貨の品質の悪化が目立つようになったのも事実です。銭貨の小型化とも重なり、残念ながらよい状態で現存する承和昌宝の数は少なくなっています。

そのため、承和昌宝は希少価値が高く、コレクターからも人気があります。相場を見ても、高値で取引されるケースが多いです。美品の承和昌宝の鑑定を業者に依頼した場合、大きな価値がつく可能性が高いでしょう。

長年大宝(ちょうねんたいほう)

長年大宝は、平安時代の嘉祥元年に鋳造・発行された銭貨です。先に流通していた承和昌宝がもとになり、直径は20mm前後となっています。

硬貨は円形であり、真ん中に正方形の穴が開いています。表面に時計周りで「長年大寳」と刻印されていますが、裏面に文字や模様はありません。

流通していた当時は、交換比率として、長年大寶1枚に対して旧銭貨10枚という基準が設定されていました。

長年大宝の美品は、高価で取引されることもあります。ただし、長年大宝は、古銭の中でも分類や評価が難しいといわれています。

そのため、専門家であっても、正確に長年大宝の価値を判断するのは簡単なことではありません。長年大宝は状態だけでなく、業者によっても査定が異なるケースがあります。正しい価値で売却するためには、複数の業者へ鑑定を依頼したほうがいいでしょう。

饒益神宝(じょうえきしんぽう)

饒益神宝は、平安時代の貞観元年4月に鋳造と発行が始められた銭貨です。表面に時計回りで「饒益神寳」の文字が記されており、裏面には何も書かれていません。

饒益神宝の「饒益」は、「じょうえき」だけでなく「にょうやく」と読むことも可能です。「じょうえき」と読む場合、物質的に恵まれていて豊かなことを表すとされています。一方、「にょうやく」と読む場合、仏教の言葉で「物を与える」という意味になります。

現存する饒益神宝は、表面に記載された文字が判読できない質の悪いものも少なくありません。そのため、文字の判読ができる饒益神宝は、特に貴重なものとされています。

また、饒益神宝は数ある皇朝十二銭の中で比べてみても、現存数が最も少ないです。よって、状態のよい饒益神宝であれば、かなりの高価で買取される可能性があるでしょう。

貞観永宝(じょうがんえいほう)

貞観永宝は、平安時代の貞観元年に鋳造が始まった銭貨です。皇朝十二銭の中では、9番目にあたります。

貞観永宝は、銅で作られています。もともと皇朝十二銭の鋳造のために使用する銅は長門の国営銅山で採取されていました。しかし、貞観永宝を鋳造する頃には、農民たちが雑器に銅を使用していたといわれています。そのことから、貞観永宝の鋳造に使用する銅が不足する事態が発生しました。よって、貞観永宝の鋳造が始まってから2年が経つ頃には、硬貨のサイズを小さくしたと記録されています。

このいった背景により、貞観永宝は鋳造時期によって異なる特徴を備えています。複数の貞観永宝を比べてみてサイズが違う場合は、小さいほうが後から鋳造されたものだと分かるでしょう。貞観永宝はコレクターからの人気も高く、相場は状態によっても大きく変化する可能性があります。

寛平大宝(かんぴょうたいほう)

寛平大宝は、平安時代の寛平2年から作られるようになった銭貨です。鋳造が始まったのは寛平元年といわれる場合もありますが、正しくは寛平2年からだとされています。
寛平大宝は貞観永宝に次ぐ、10番目の皇朝十二銭です。寛平大寶の表面には、他の皇朝十二銭のように、時計回りに「寛平大寶」と刻まれています。寛平大宝ならではの特徴といえるのは、直径が約19mm、重さが約1.8gと小さくて軽いところです。

寛平大宝が鋳造される頃には何度も改鋳された銅貨が増え、質が落ちてきたといわれています。そのため、よい状態で現存する寛平大宝はあまり多くはありません。

とはいえ、状態のよい寛平大宝を所有しているのであれば、高値がつく可能性も十分にあります。よい状態のままで残っている寛平大宝はかなり貴重です。そのため、まずは古銭の価値をしっかり理解している専門業者を選び、鑑定してもらうことをおすすめします。

延喜通宝(えんぎつうほう)

延喜通宝は、平安時代の延喜7年11月から鋳造・発行された銭貨です。この時期には、寛平大宝の発行から17年が経過しています。延喜通宝の表面には時計回りで「延喜通寳」と刻まれており、裏面は無紋です。

延喜通宝は、最初に鋳造されてから50年ほど作られ続けていました。そのため、数も比較的多いのが特徴的です。ただし、銅が不足する中で鋳造されていたことから、材質としては鉛も含まれています。朝廷が発行した貨幣の中で見ると質が低いものが特に多く、表面の「延喜通寳」の文字を判読できるものはあまり多くありません。文字の判読ができる場合、希少価値が高いと判断されます。

延喜通宝は、状態によって価値が大きく変動しやすい銭貨です。そのため、なるべく高値での買取を望んでいるなら、複数の業者に査定を依頼したほうがいいでしょう。

乾元大宝(けんげんたいほう)

乾元大宝は、平安時代に村上天皇が即した後の958年に鋳造された銭貨です。皇朝十二銭の中では12番目にあたる最後の通貨です。

交換比率は、乾元大宝1枚に対し、旧銭10枚が基準になっていたとされています。ただし、実際に流通していたのはごく一部に限られていました。

また、乾元大宝の表面には時計回りに「乾元大寳」の文字が示されていますが、裏面には何もついていません。乾元大宝の重さは約2.5gで、主な材質は銅です。ただし、実際には銅の不足を補うために鉛が使用されているものも多くあります。特に鉛が75%以上含まれていて質が低い乾元大宝は、表面の文字の判読ができません。

現存する乾元大宝の中にも、質がいいものもあれば、悪いものもあります。そのため、同じ乾元大宝であっても、実際の買取価格には大きさ差が出る可能性があります。

富寿神宝(ふじゅしんぽう)

富寿神宝は、平安時代の弘仁9年に国内で鋳造・発行された銭貨です。皇朝十二銭の中では5番目の銭貨にあたります。

富寿神宝は、主に当時の都があった近畿地方で使用されていました。ただし、近畿地方以外の遺跡でも、富寿神宝は発見されています。

富寿神宝の直径は23mm前後で、重量は3g程度です。円形の硬貨の真ん中に正方形の穴が開いています。表面には時計回りで「富壽神寳」と刻まれており、裏面には刻印はありません。

富寿神宝の基本的な材質は銅ですが、ものによっては鉛の含有率も高くなっています。これは、嵯峨天皇の時代に農業の不振が多発し、財政難に陥っていたことがひとつの原因だとされています。

富寿神宝の買取価格は、状態によってさまざまです。状態がよければ高値で取引できる場合もあるので、まずは信頼できる業者を選んで鑑定を依頼してみましょう。