長崎貿易銭の価値は?
主な種類や特徴を紹介!
長崎は、日本において鎖国政策が取られていた江戸時代に、オランダや中国などの外国と貿易を行う唯一の港として栄えていました。長崎で貿易を行うために作られた通貨は、長崎貿易銭と呼ばれています。
長崎貿易銭には複数の種類があり、中には大変高い価値を持つものもあるため、コレクター達の間で人気です。
この記事では、長崎貿易銭が作られた時代背景、種類や特徴などについて詳しく解説します。
長崎貿易銭の概要
江戸時代の日本は鎖国政策が取られていたため、長崎港においてのみ外国との貿易を行うことができました。長崎貿易銭とは、オランダや中国と貿易を行うことを目的として、万治2年(1659年)より鋳造が開始された貨幣全般を意味します。 長崎貿易銭は、中国銭の模造品とされていますが、もともと江戸幕府に対して鋳造の依頼をしたのはオランダでした。その頃、中国は王朝が交代する時期にさしかかっており、銅貨が不足していました。 そのため、オランダは、銅貨を大量に持ち込めば、貿易を有利に進められるのではないかと画策したのです。長崎貿易銭は、中国において大変重宝がられたといわれています。当時、日本では寛永通宝が通貨として流通していましたが、寛永通宝は国内で流通させることを目的として作られており、輸出することが禁じられていたため、長崎貿易銭が作られたのです。 長崎貿易銭は全部で8種類あり、中でも熈寧元寳と治平元寳は特に希少価値が高いため、高値で買取される場合があります。
長崎貿易銭の主な種類や特徴
長崎貿易銭と一口に言ってもさまざまな種類があり特徴も異なるため、ひとくくりにしてしまうわけにはいきせん。ここからは、長崎貿易銭の中で人気がある種類それぞれの特徴と貨幣が鋳造された時代背景について解説します。
治平元寳(じへいげんぽう)
治平元寳(じへいげんぽう)は、万治2年(1659年)に鋳造されており、素材は銅で作られています。江戸時代の長崎において、幕府からの認可を受けて輸出用に鋳造された貨幣が長崎貿易銭です。長崎貿易銭には複数の種類がある中で、多くは宋銭の銘が転用されており、治平元寳もそのうちの1つにあたります。残存している数が少ないため希少価値が高いといわれている貨幣です。
一方、残存しているものの中で美品が少ないことも特徴となっています。しかし、貨幣の表面に治平元寳と書かれていても、それが宋銭なのか長崎貿易銭なのかは、素人が見て簡単に判断できることではありません。どちらにあたるのかによって、買取に出す場合の価値は変わってきます。
そのため、どちらにあたるのかを正確に判断するためには、古銭買取の専門業者に鑑定してもらうことがおすすめです。
嘉祐通寳(かゆうつうほう)
嘉祐通寳(かゆうつうほう)は、万治2年(1659年)に鋳造されたもので、素材には銅が使われています。江戸時代に行われていた出島貿易では銅銭がさかんに輸出されていたため、それをまかなう目的で、長崎において輸出用の銅銭が複数種類鋳造されていました。このような銅銭は長崎貿易銭と呼ばれています。
嘉祐通寳もそのうちの1つにあたり、既存の宋銭の銘をそのまま転用して鋳造されているのが特徴です。しかし、良い状態のものは、さほど多くありません。また、銘が同じであっても、中国産なのか日本産なのかによって、相場や価値は異なります。
中国産なのか日本産なのかを判断することは、素人には難しいです。そのため、嘉祐通寳を所有しており売却することを検討している人は、古銭の事情に精通している専門業者に依頼して鑑定を行ってもらうとよいでしょう。
熈寧元寳(きねいげんぽう)
熈寧元寳(きねいげんぽう)は、万治2年(1659年)に鋳造されており、銅を素材として作られています。江戸時代の長崎では、幕府の認可を受けて、既存の宋銭をかたどった貿易専用の銅銭が複数の種類鋳造されていました。
これらは長崎貿易銭と呼ばれており、熈寧元寳もそのうちの1つに含まれています。熈寧元寳は北宋時代の貨幣で、鋳型が日本においてつくられ、長崎貿易銭としてアジアに向けて輸出されていました。
書体は楷書体と篆書体の2種類があります。熈寧元寳は、その銘を見ただけでは、それが中国産の宋銭であるのか日本産の長崎貿易銭であるのか、素人が判別することが難しいです。どちらにあたるのかによって価値や相場も異なるため、熈寧元寳の所有者で売却を考えている人は、古銭事情に詳しい専門の買取業者に依頼して鑑定してもらうことがおすすめです。
祥符元寳(しょうふげんぽう)
祥符元寳(しょうふげんぽう)は、万治2年(1659年)に鋳造された貨幣で、銅が素材として使われました。江戸時代に行われていた長崎貿易では、古い渡来銭が輸出されていましたが、需要が高まるにしたがって、貿易専用の貨幣を鋳造することが求められるようになったのです。祥符元寳は、その際に鋳造されていた長崎貿易銭の1つにあたります。
使われている祥符元寳という銘は宋銭のものがそのまま利用されているものの、鋳型は日本国内において新たに製造されたものです。中国産の祥符元寳と日本産の祥符元寳とでは、価値が異なります。手元にある祥符元寳が中国産なのか日本産なのかを正確に判断することは、素人にとって簡単なことではありません。そのため、祥符元寳の売却を考えているなら、古銭事情に詳しい専門業者に鑑定を依頼することがおすすめです。
天聖元寳(てんせいげんぽう)
天聖元寳(てんせいげんぽう)は、万治2年(1659年)に鋳造された貨幣で、銅を使って作られています。天聖元寳は、長崎貿易銭として複数種類つくられた貨幣のうちの1つです。既存の宋銭の銘を使って鋳造されており、貿易取引における専用貨幣として利用されていました。宋銭をそのまま使ったわけではなく、また、それを型にして鋳造したわけでもありません。
鋳型は国内で新たに作られ、国産の銅を用いて鋳造されました。天聖元寳と貨幣の表面に書かれていても、それが中国産なのか日本産なのかによって、価値はまったく異なります。中国産なのか日本産なのかを判断することは、素人には難しくてできません。しかし、天聖元寳を買取に出す際にはその点をはっきりさせる必要があります。そのため、古銭事情に明るい専門業者に依頼して、鑑定してもらうとよいでしょう。
紹聖元寳(しょうせいげんぽう)
紹聖元寳(しょうせいげんぽう)は、万治2年(1659年)に鋳造されており、銅を素材として作られました。江戸時代に長崎港で行われていた南蛮貿易においては、北宋などにおいて鋳造された複数の貨幣をもとにした貿易専用の銅銭である長崎貿易銭が鋳造され、利用されていました。紹聖元寳も長崎貿易銭の1つにあたります。
1094年に北宋で鋳造されていた紹聖元寳には行書体と篆書体がありますが、長崎貿易銭の紹聖元寳には篆書体しかありません。篆書体の紹聖元寳が手元にあった場合、中国産なのか日本産なのかを見分けることは、素人にとって簡単なことではないです。しかし、中国産か日本産かによって価値や相場は大きく異なるため、明らかにする必要があります。紹聖元寳の買取を検討しているなら、古銭事情に詳しい専門業者に鑑定を依頼するとよいでしょう。
元豊通寳(げんぽうつうほう)
元豊通寳(げんぽうつうほう)は、万治2年(1659年)に鋳造された貨幣で、銅が素材として使われました。長崎貿易専用の貨幣である長崎貿易銭は複数種類作られており、元豊通寳もその一種です。元豊通寳は、中国の北宋時代に鋳造された宋銭の元豊通寳の銘を流用して鋳造されています。宋銭を型として作られたのではなく、日本において新たに作られた鋳型を用いて鋳造されていることが特徴です。
そのため、宋銭の元豊通寳との見分けは比較的しやすいといえます。しかし、素人目で判断することは難しいといえるでしょう。書体は、隷書体、行書体、篆書体の3種類があり、どの書体が使われているのかによって価値や相場が異なるのも特徴です。元豊通寳を所有していて買取を希望している人は、古銭の専門業者に依頼して正確な鑑定を行ってもらうとよいでしょう。